幸せの定義
「何やってんですか、アンタ!?」
……いきなり人ン家に上がりこんでおいて「何やってる」もなにも無いだろうが……
と、思ったかどうかはさておき、
イルカは持ち帰った書類を脇に寄せ深夜の来訪者を見上げた。
「――こんばんわ、カカシ先生」
「こんばんわ、イルカ先生。
――って、違う。そうじゃないでしょ!!」
「『そうじゃない』って、何がそうじゃないんですか…。
スミマセンが、今日はちょっと忙しいんですよね。出来れば明日までにこの書類仕上げちゃいたいんで」
一体何をそんなに勇んでいるのか分からない。
イルカは小さく溜息を吐くと、先ほど脇に寄せた書類を再び自分の前に引き寄せた。
今日は出来ることなら独りで何かに集中していたかった。
余計なことを何一つ考えなくて済むように、誰かが傍にいたらきっとらしくも無いことを口に出してしまいそうになるから…
「イルカ先生ッ!!」
「……ですから、カカシ先――ッ!?」
お願いだから独りにして欲しい。
今は、独りでいたい。誰かがいたらいけない、自分を保てなくなる。
なのに、
「ねぇ、イルカ先生」
どうして貴方は、
「本当に辛い時は、」
分かってくれないんですか…
「泣いていいんです、我慢なんてしないで下さい」
抱きすくめられて、耳に届くのは命を刻む生の鼓動。
自分の背中に回された手が暖かくて、今までずっと堪えていたものが堰を切ったように溢れ出してきた。
「……ッく、ふッ……」
今日、1人の忍びが死んだ。
里の病院でひっそりと、息を引き取った。まだ、酒の味も知らない子供なのに…
出会ったのは教師になってまだ間もない頃。
正直、子供の扱いなんてどうしていいか分からなくて、さぞかし頼りない教師だったに違いなかっただろうに、何をそんなに気に入ったのか事あるごとに自分の周りを付いて回ってきた姿。
卒業したあとも、何かあればひょっこり顔を出して、ついこの間だって、
『先生、俺、今度上忍の方と一緒に任務に行くんです!!』
瞳を輝かせて、語るその姿がとても微笑ましくて
思わずアカデミーにいた頃を思い出して頭を撫でてしまった。
『ちょ、イルカ先生!俺、もうガキじゃないですよ〜ッ』
撫でた感触も、その笑顔も全て覚えてるのに……
次に彼を見ることになったのは病院のガラス越し。
全身を包帯で巻かれ、そこかしこから何本もの管が精密機械に繋がれていた。
アカデミーの頃のあの笑顔が嘘のように、その顔色は蝋のように白くまるで既に事切れているかのようだった。
詳しいことは耳には入ってこなかったが、隊はほぼ壊滅状態で、独りボロボロになりながらそれでも辛うじて戻ってきたらしい。
多分、上忍の方が必死に彼を逃がそうとしてくれたのだろう。
我々は忍び。
任務に当たる時は常に『死』と隣り合わせだという事を忘れてはいけない。
行く側も待つ側も…
そう、頭では分かっているつもりだった。
でも、
「頭、ではっ…分かってる…!でもッ、どう、しても……」
短い生涯。まだまだしたい事もあっただろうに…
そんな身体のあちらこちらに訳の分からない管をつけられて、病院でひっそりと息を引き取った、そう聞いた時とてもやるせない気持ちになった。
何故、あの子が?どうして?
あんなに笑ってたのに、
あんなに楽しそうだったのに、
これからもっともっと、いっぱい笑って、いっぱい泣いて…
なのに、そんなの全然経験しないうちに逝ってしまった。
お前はこの短い生涯で幸せをいくつ感じることが出来たんだ…?
痛くて、辛くて、
そんな感情に苛まれながら逝くなんてあまりにも、あまりにも酷ではないか……
「―ーーねぇ、先生?」
囁くような呟くようなそのカカシの声。
「その子、きっと幸せですよ…」
「……カカシ、せんせ?」
その声がストンと落ちるように染み渡ってきて、イルカはまだ視界の歪むそれでカカシを見上げる。
いつのまに口布をとったのか、ニコリと笑うその表情があまりにも優しくてまた、涙が出そうになった。
「だって、こんなに泣いてくれる人がいるじゃないですか。
貴方は忘れないでしょう、彼のこと…。いや、忘れるかもしれないですね、人間だし。
でも、ふとした瞬間にやっぱり思い出すでしょう?
こんなに思ってくれる人がいるんだ、彼は幸せだった筈です。
貴方だけじゃない、彼の為に涙を流す人は沢山いる筈…
それだけ思われてるっていうのは幸せですよ、やっぱり。
確かに、彼の「生」は俺達よりも短かったかもしれない、でも、幸せって長く生きてればいい、ってもんでもないです。彼は、貴方の前で沢山笑っていたんじゃないですか?」
その問い掛けにイルカは、少しだけ思案して、少年の笑顔を思い出した。
いつも笑っていた。まるで陽だまりのように…
どうですか?、と聞かれてゆっくりと縦に首を振る。
「じゃあ、やっぱり幸せだったんですよ。
それに死んで尚、こうやって思われてるんだから、……俺なんか羨ましいくらいです…」
「……カカシ、さん…?」
「ねえ、イルカ先生。
俺ね、貴方に会って今まで知らなかったことを沢山知ったんですよ。
泣きたい時に泣けないのって辛くないですか?
我慢なんてしないで下さい。我慢している姿を見ている方が、泣かれるよりもずっと堪えます」
「………」
そうやって、
己を映す色違いの瞳が不安の翳りに揺れていた。
「俺の前でまで、我慢しないで下さい」
―――お願いします。
その声が、あまりに真摯で、
イルカはぶれる視界を腕で乱暴に拭い去る。
「……あの子は、幸せだったんですよ、ね……?」
「ええ、きっと……」
***
「……ねぇ、イルカ先生?」
「何ですか」
泣き腫らして、感情の整理もついて、少し遅い夕餉を取ったのが先刻。
心地よい水音と共に食器を洗っていれば、不意に背後に人の気配を感じ気が付いた時には抱きしめられていた。
「すっごく不躾な質問なんですけど…
もし、俺が死んだら貴方は泣いてくれますか…?」
「……本当に不躾ですね」
「スミマセン」
ショボンと項垂れるのが気配だけでも分かる気がして、イルカは苦笑した。
有り得ない未来ではない。でも、
「俺、泣きませんよ」
イルカは何事も無かったかのように、キッパリと言い放った。
「泣きたくて泣きたくてどうしようもなくなるとは思いますけど、泣きません。きっと、物凄く我慢します。
―――だから、」
絶対に、俺のところに帰ってきて下さい。
…何が書きたかったんだか…
20040622