コンコン、と軽いノックのあと、 「…失礼しますよ」 既に日課と化した訪問。カカシはゆっくりとその扉を開けた。 「あ…!カカシさん、ですか…?」 「はい」 イルカがカカシに発見されて5日。 視覚を刺激しない為、その視界を塞ぐかのように包帯を巻かれたイルカの痛々しい姿には思わず眉を顰めたくなる。しかし、そうはしない。いくらイルカの目が見えなくて、コチラの表情が見えてなくても、それは今、記憶のないイルカには失礼な気がするから。 イルカは木ノ葉病院に運ばれた翌日、己の置かれた状況を三代目火影によって直々に説明を受けた。最初は驚愕のあまり言葉を失っていたようだが、特に取り乱す事もなく終始落ち着いていたという。 残念ながらカカシは上忍師としての任務の為、立ち会う事は叶わなかった。 しかし、イルカが目覚めて以降、カカシはこうして毎日のようにイルカの元へ通っていた。火影に頼み込んで、イルカの世話役をもぎ取ったのだった。 今、イルカの知っている情報といえば、 名前をうみのイルカと言い、学校の教師をしていたと言うこと。そして、ここは忍びの隠れ里で、イルカもまた忍びである事。 カカシは自分がイルカの元教え子の担任である、と教えた。 『……つまり、はたけさんは私の教え子だったという子達の先生なんですか…?』 見えない視界で、首を傾げるイルカにカカシは小さく頷く。 『アカデミーを卒業した… ああ、あなたはアカデミーで教鞭を取っているんですけどね、そこを卒業した子どもたちは今度は教室でではなく実践で学ぶんですよ。基礎をアカデミーで、応用を実践で、と言ったところでしょうか?俺はそれを監督するのが仕事なんです。 まぁ、あなたとは同僚とも言えなくはないですかね……。 ―――ということで、その『はたけさん』って呼び方止めてもらえませんか?』 『――え?あ、でも……』 戸惑うイルカにカカシは微笑む。 『カカシ、でいいですよ』 『……え、あ…、じゃあ、カカシさん……?』 『はい、イルカさん』 最初は少し緊張気味だったイルカも、 今ではすっかりカカシに心を開いていた。元々、年齢が近いこともあり、しかも普段であれば2人を隔てる階級差も今は無い。 「どうです、調子…?」 「ええ、お医者さんの話によると着実に回復には向かってるって」 「そうですか、それは良かった」 「はい、ありがとうございます」 ニコリと笑うイルカのベットサイドにいつものように椅子を持ってきて座る。 そこがカカシの定位置だった。 「今日はね、リンゴを持ってきたんですよ〜。今、剥きますからね」 「いつもスミマセン」 「―――全然、気にしないで。俺が、好きでやってる事だから。 って言っても実は、これ任務で行った先の依頼主に頂いたんですけどね。子どもたちに頼まれちゃったんですよ」 「えーっと…、ナルトくんとサスケくんとサクラちゃん…でしたよね」 「ええ。あなたの自慢の教え子たちです、中でもナルトはあなたにべったりだし、あなたもナルトのことを目に入れても痛くないくらい大切にしてましたよ」 「そう、なんですか…? 残念だな、俺、子供たちのことも何も覚えてない。その…、ナルトくんにも申し訳ない気がして…」 ポツリと呟いたイルカの本音に、カカシは己の犯した失態に気付いて思わず舌打ちしそうになった。イルカは勿論、ナルト達の事も覚えてはいない。しかし、相手は『自分』を知っている。 イルカが少しだけ寂しそうに唇を噛んだのをカカシは見逃さなかった。 「気に 病む必要はありませんよ、あなたはあなたでしかないんだから」 「でも…、やっぱり不安です…っ」 「……イルカ、さん?」 「みんなが俺を『うみのイルカ』だと言う。 元気になれよ、とか、早く良くなるといいな、とか…。励ましの言葉が嬉しくないとは言いません、でも不安なんです。俺は誰も知らない…。分からないんです、みんなが俺を『うみのイルカ』だと言っても、『いい奴』だったと言われても、俺がそれを信じる術は無い。ホントは腹の中で何考えていたのかなんて分からない、もしかしたら凄くイヤな奴だったかもしれない。俺は『うみのイルカ』だけどみんなが言う『うみのイルカ』とは違う…俺にはその記憶がないんです。 ―――分からない。思い出したくても何もっ、何も思い出せないんです!!みんなが一生懸命、『俺』を教えてくれるけど、俺には全然分からないッッ!!!」 自分を護るかのように身体を抱きこむイルカは僅かに震えていた。 見舞ってくれる同僚たちと話をあわせながら、笑顔の裏で独り、孤独と、不安と、戦っていたのかもしれない。そう思うと、カカシは少し切なくなった。 「ねぇ、イルカさん。だったら、俺を覚えてよ」 「―――え…?」 震えるイルカの不安が少しでも和らげばいい。 カカシはイルカをそっと抱きしめた。 「あなたを見つけたのは俺だよ。初めてあなたにあったのは俺、だから俺を覚えて?あなたの覚えた俺は正真正銘あなたの記憶だから…、それを信じて。ねぇ、俺を覚えてよ、イルカさん…」 「カカシ、さん…」 「大丈夫だから、俺を信じて。 覚えてるとか覚えてないとか、そんなのまた新しく思い出を作れば良いじゃない。だから、そんな風に独りで我慢しないで…?」 「………」 「今はね、目を治すことに専念しまショ。 そして目が治ったら俺を一番に見てくださいよ。俺の声だけじゃなくて顔も全部『はたけカカシ』を覚えて。それに、自分で言うのもなんだけど、俺かなり男前なんです。 イルカさんうっかり惚れちゃうかもしれませよ?」 最後だけ少しおどけて、でももしそれが叶ったら少し嬉しいかもしれない、と、そんな馬鹿な事を考えながらカカシは笑った。それに、つられたのかイルカの表情にも安堵が生まれた。どこか嬉しそうな、ホッとしたような。 今の『自分』を見てくれる人がいる。自分の知らない『うみのイルカ』ではなくて、何も知らない、何も覚えていない『自分』を見てくれる人が…… 「―――ありがとうございます、カカシさん。 そうですよね、今は何より先にこの目を治さないと。そして、カカシさんの男前だと言う顔も見せてもらわなくちゃ」 「そうですよ〜。だから早く良くなって下さいね」 はい、と微笑むイルカにカカシはニコリと笑って今度こそリンゴを剥き始めた。 |
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終わりが見えない…
20050114